ChronoBox

思索の出力ポート

常体の文章は書きにくい

今日は敬体で書きます。

 

昨年の暮れから、ブログでは意識して常体を使っていたんですが、常体って思った以上に疲れるんですよね。

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この記事からです。半年と少し常体で書いてきました。

 

常体に定めた理由は友人の意見でした。ちょうど去年の12月ごろ、私はブログを敬体にすべきか常体にすべきか悩んでおりまして、その時友人から「敬体より常体の方がまどろっこしくなくて好き」という意見を賜りました。これに関して、ああ確かにそうだなと思いまして。何かを伝えるなら、常体の方がスパッと率直に伝えられます。

んで、それがきっかけで常体で文章を綴ってきたわけです。

 

しかーし、常体のルールは今ここで崩壊しました。この記事は敬体で書いてしまっています。

常体使いまくってると、ああなるほど敬体はこうだったんだなってわかってきます。大事なものは失ってから気づく…みたいな?

確かに常体は趣旨を伝えやすく、文章がパリッと固まるんですが、しかし改めて読んでみると結構読みにくかったり……。堅苦しくなってしまうからでしょうか。

 

その点、敬体は読みやすいですね。なんとなく柔らかい、口語調みたいな。話し言葉とも言いますね。状態のような「我こそが活字だ!読め!」って感じがしないんです。

あと敬体には偉そうな感じが無い。やっぱり常体はどこか上から目線になってしまうんですが、敬体はさすが「敬語混ざりの文章」というだけあって、なんとなく対等、もしくは筆者の方が下みたいな印象を持たれるんではないでしょうか。

 

こう書くと敬体の方が良さそうですが、しかしやはり友人の言う通り敬体は伝えたいことがズバッと伝わらない側面があります。意見から引用するなら「まどろっこしい」。メリットばかりではないですね。

「結局何が言いたい」ってのをきちんと伝える点に関しては常体に軍配があがる気がします。だからかは知りませんが論文とか公的文書は全般的に常体ですよね。

 

結局ブログで使うならどっちがいいんでしょうか。こういう自分語り?みたいなのは敬体の方がいいんでしょうか。読みやすいんでしょうか。分かりません。

書き手としては確実にこっちの方が楽です。なんかあまり考えずにバーーーーーっと文章を書けます。常体だと割とつっかえるような気がする。

じゃあ敬体でいいじゃんって思うでしょ。でもめんどくさいことに、私たまに常体で書きたいときもあるんですよ。意味わからん。私は何に関しても首尾一貫性がないですから、こういう些細なこともブレッブレです。

 

まあ、基本このブログは「書きたいことを自己満足で書く」というスタンスでやっているので、この場合はどっちで書いても正解なのかもしれません。自分が満足できさえすりゃいいんですからね。

 

さて、というわけでここまで読んでくれたもの好きさんにお伝えします。私は昔と同じように常体と敬体混ぜたスタンスで記事書いていきますね。これからもよろしくです。

 

それでは、今日は以上です。