ChronoBox

思索の出力ポート

深刻な体力の減衰

今日は久しぶりに駅ランをした。

 

駅ランというのは、定刻の電車に乗るために駅までダッシュする行為のことである。エクストリームスポーツの一つである。

私が時間にルーズだった高校生時代、とりわけ二年の頃によくやっていたスポーツだ。

 

三年からは遅刻回避をもはや諦めてしまい、逆に駅ランの回数は減ったのだった。

 

さて。

浪人してからは、減っていた駅ランをやる機会はついに消失した。

あ、別に宅浪というわけではない。予備校には通っているのだが、何故か時間にルーズでなくなったのと、だいたい授業の前に自習を挟むので、乗ろうとしていた電車に遅れそうになっても、走って間に合わせる必要はなくなったのだった。

 

しかし、今日は久々に走った。久々に授業に遅刻しそうだったのだ……。

というのも、途中のコンビニで過去問のコピーをしたのだ。これに予想以上に時間を食われ、私の行動計画はいとも簡単に崩れ去ってしまったのである。

 

駅までのおよそ800mを、4分で走り抜く必要があった。

リュックサックには参考書、手提げには弁当と一問一答、あと水筒まで入っていた。学校の持久走なんかとは全く状況が違う。

 

 

まあでも、とりあえず走ってみるか、と半分諦めながら走り始めた。

 

パーカーのフードを揺らし、ランニングシューズが喜ぶ12月の朝。

冬に似合わず気温は高い。

 

半分の諦めから、最初は割と抜き気味で走っていた。しかし、交差点に差し掛かったところで腕時計が「遅刻回避、有り得る。」と悪魔の如く囁く。

ここで諦めては男が廃る(?)と感じ、私は諦めず走り抜けることにした。

幸か不幸か信号は青。休む隙は与えない。

息を切らし走り抜く私を女子高生達が怪訝な目で見つめるが、そんなことは眼中にもなかった。

人生の敗者の走行は、しかし決して敗走ではなかったのである。

 

結果として、電車には間に合った。発車ベルが鳴り響くホームで、まるで余裕を持って現れたジェントルマンのように、颯爽と電車に乗り込んだ。

あ、私は決して駆け込み乗車をしない主義だから、電車に乗り込むのは発車ベルが鳴り終わるまでである。例えドアが開いていたとしても、発車ベルが鳴り終わったらそこで「敗者」となるわけだ。

 

今回は発車ベルが鳴り始めるあたりでホーム入りしたので、勝利は確定である。乗る号車を歩いて見定めるだけの余裕もあった。

 

が、しかし。地獄はこのあとだった。

持久走でも一番辛いのは走っている時よりも走った後であるということは、小中高と体育の授業で散々学んでいることだろう。

 

電車に乗り込んだ私は、急激な吐き気と、酸素不足と、心拍数の上昇を感じた。

やばい。

体力が有りえないほど減衰している……!

 

そう、浪人してからは体育の授業もなくなり、運動する機会もめっきり減る。おまけに、先ほど言った通り駅ランすらしなくなったので、体力が減っているだろうということは自分でも薄々勘付いていた。

ああ、分かっていたとも。でもここまでとは……。

 

世界が暗くなり、周りの状況は見えなかった。日本人の特性上、周りの人間の表情や行動には私への注意は感じられなかったが、しかしきっと皆心の奥底で「なんだこいつ」と思っていたことだろう。どうせそうだ。

 

やばいな。これでは多分、今度山に登ったら途中でのたれ死んでしまう。チャリンコに乗ってものたれ死んでしまう。スキーしても死んでしまう。

本当に恐れを感じた。筋トレというか、何かランニングとかスイミングとかをした方がいい……いや、するべきだと思った。

 

みんなも運動、しようね!

ではまた!(突然の別れ)